2013年6月 3日
[55]産経国際書会参与・久保翆雪さん(87)
58歳で出発、ようやく自分の字が
ずっと師の書を追いかけてきた。自分の書を作れるかが長年の課題だった。主婦の集まりの看板を頼まれては何度も書いた。だがいつしか自分の字に納得できなくなった。「このままだと字に発展がない」。そう思い尋ねたのが書家小林朴翆だった。
小林は、変体仮名などは一切使わず、仮名はわかりやすい現代の言葉、文字を用いた。書に厳しい小林が「いい」と言うまで久保は書き直した。天性のものがあったのだろう、入門して3年後には漢詩の手本を書いていた。
だがそれ以上に難しかったのが自分の書作りだ。師の顔がちらつき、苦しみながら書いてきた。だがいまは違う。自分の思いを素直に出す。新春展の出品作「残照」がそうだ。自宅マンションから見える夕日の燃えたぎる熱さを久保は書にした。紙幅からあふれんばかりの濃墨の作品は、沈む夕日は寂しいものではなく存在感あるものとして迫ってくる。そして久保はいま以上に上を目指す。「まだ伸びる。書ける間はまだ伸びしろがある」。そう信じている。(柏崎幸三)
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