2017年10月15日

もとは南方の人が使った太鼓...「南」

kanji20171013_1.png  前回(ぜんかい)の「(きた)」に(つづ)き、今回(こんかい)は「(みなみ)」という文字(もじ)(かんが)えます。
 左上(ひだりうえ)甲骨(こうこつ)文字を()てください。kanji20171013_3.pngは、(どう)(つく)られた(そこ)のない太鼓(たいこ)(よこ)から見た(かたち)で、太鼓の四方(しほう)(みみ)をつけて(ひも)(とお)し(kanji20171013_4.png)、()(えだ)kanji20171013_5.png)に()るした形を(あらわ)した象形(しょうけい)文字です。
 (はる)になって農作業(のうさぎょう)(はじ)める(とき)、また(あま)ごいや祖先(そせん)祭祀(さいし)(おこな)う時は、太鼓を()()らし、その(おと)精霊(せいれい)(かみ))に(とど)くよう(ねが)って、青銅(せいどう)の太鼓が(つく)られました。まさに(せい)なる楽器(がっき)で、その太鼓のことを「(なん)」と()いました。
 「南」を使っていたのは、(いん)(みやこ)から見ると南の方角(ほうがく)にあたる苗族(びょうぞく)人々(ひとびと)で、南人(なんじん)と呼ばれ、楽器「南」は、南人の象徴(しょうちょう)でもありました。
 やがて、「南」は、方位の「南」を表わすようになったのです。
 (いま)でも東南(とうなん)アジアのある地方(ちほう)では、この銅鼓を楽器として使用(しよう)しているところがあるようです。
(産経国際書会常務理事、眞田朱燕)

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