2018年10月28日

すべての神意にかなう...「善」

20181028_kanji_1.png  思索(しさく)(あき)(うつく)しい紅葉(こうよう)()ながら、物思(ものおも)いにふけるのもいいですね。 今回(こんかい)人間(にんげん)にとって普遍的(ふへんてき)理想(りそう)価値(かち)とされる「(しん)(ぜん)()」のひとつ、「善」についてお(はなし)します。
 「善」は(うえ)篆文(てんぶん)をみてわかる(とお)り、正字(せいじ)は「(ぜん)」と()きました。「(ひつじ)」と「(きょう)」から()()った文字(もじ)で、「羊」は、神判(しんぱん)に用いる神羊(しんよう)のこと。「誩」は、両言(りょうげん)。神判に立つ原告(げんこく)被告(ひこく)(あらわ)しています。「羊神判」は、両者(りょうしゃ)誓約(せいやく)をしたうえで、それぞれが提供(ていきょう)した羊を()()け、その反応(はんのう)によって判断(はんだん)するもの。敗訴(はいそ)した(がわ)は、犠牲(ぎせい)の羊とともに皮袋(かわぶくろ)に入れられ、(かわ)(ながさ)されるという厳格(げんかく)なものでした。「善」はもとは裁判用語(さいばんようご)であり、のちに、すべての神意(しんい)にかなうことを善と()うようになりました。
 「善行(ぜんこう)」「慈善(じぜん)」「最善(さいぜん)」のように用い、(とく)究極(きゅうきょく)とされます。論語(ろんご)には、「美は善を()くすことによって完成(かんせい)される」とあります。
(産経国際書会常務理事、山本晴城)

20181028_kanji_2.png