2012年7月27日

[45]米国書道研究会会長、産経国際書会副会長・生田博子(いくた・ひろこ)さん

蝋燭 かすかに燈芯を...
書の伝道師として国際友好
生田博子(いくた・ひろこ)さん
 敗戦後、在米日系人が苦しい生活を強いられる中、1952年、2人の日本人が米国に渡った。米国書道研究会の創立者、生田観周と妻の博子だった。戦後初の日蓮宗開教師として渡米した観周は、博子と教会の文化活動の1つとして書の普及に務めた。

当時の米国は、漢字だけの中国の書がほとんどで、仮名や優雅で美しい線の日本の書は叙情性に富み、米国人に斬新だった。博子は当時を振り返り、「書はアート。日本の書であるがゆえに書道ブームを起こせた」。

米国書道研究会の本部はロサンゼルスに置き、その後、シアトル、サンフランシスコ、サンノゼ、ハワイなど支部は全米各地に広がり、美術館をはじめ、小中高、大学でも書の指導を行ってきた。2人はまさに〟書の伝道師〟になった。

在米60年。生涯の仕事と決めた書は、観周の亡くなった今も博子自身の精進の根底にある。絶えず意識するのが、日本人らしさ、日本人としてのアイデンティティーだ。それは、「書による日米の国際友好親善は天与の使命。米国在住の書家として微力ながら尽力したい」との思いを抱き続けているからだ。(柏崎幸三)